世界を旅する自遊人

【クールス】原宿&レオン&COOLS※いつもそこにはパッションがあった!!

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こんにちは・・・

今回はクールスを語るのに

欠かせないレオンについて

当時の風景や世情など

もちろんクールスに触れつつ

書いてみたいと思います。

なおこの記事については

とあるクールスファンの日記を

参照として書いています。

先日個人的に大変興味深い

写真集を入手した

その「70’ HARAJUKU」と

題された写真集は今や

日本の若者文化の聖地とも

言える東京原宿の

1970年代の原風景や

そこで生活していた人々の

写真が多数収められている

1970代以前の東京と言えば

銀座や新宿辺りが時代の

最先端の街だったのだろうが

小生が東京に物心付いた

1970年代後半頃は

若者の街と言えば原宿だった

当時はネットなんてないし

”原宿”って街は雑誌や

テレビの中でしか

見た事なかった

実は小生は美容学校を

卒業する時、

本当は東京に出ていきたいと

思ってた。。。

当時の東京原宿は

竹の子族に変わって

リーゼントをキメた

ローラー族が

歩行者天国になった日曜の

表参道でロックンロールの

ナンバーで踊ってた時代だ

人生に「たら」「れば」は

ないが、

あの時もし東京に出ていたら

人生は今とはまったく違った

人生になっていたかもしれない

しかし歳取って思うに決して

良い方向には行っていなかった

だろうと想像する

”憧れ”で終わった事が

自分の人生には良かったと

思うんですよね

そんな憧れだった東京原宿の

70’の世界がこの写真集には

詰まっているんですよね



以前、何度か記事にしたが

北海道から上京して当時の

東京の若者文化に

大きく貢献した

ファッションブランド

「クリームソーダ」

創設者の山崎眞行さん

クリームソーダ以前には

「怪人二十面相」や

「キングコング」

「シンガポールナイト」など

当時の最先端のお店を次々に

オープンさせた原宿の

レジェンドだ

永ちゃんを始めキャロルの

メンバーやクールスとも

深く関わってた方だ

数年前にお亡くなりに

なりましたがね~・・・

山崎さんが営んでいた

お店の一つ

「キングコング」だそうだ

左の写真は当時の

カリスマスタイリスト

だったヤッコさん事、

高橋靖子さん

山崎さんとヤッコさんは

姉弟のように仲良し

だったそうだ

左の写真は同じく山崎さんの

お店「怪人二十面相」の

スタッフ?

だった人達だそうです

楽器を抱えてるから

ロックンロールバンドでも

やってたんでしょうな~

後のブラックキャッツの

ルーツかもしれませんね 笑!

右の写真も山崎さんのお店

「シンガポールナイト」だ

そうです

写真に写ってる人は

西のファニカン、

東のキャロルと言われた

当時ファニーカンパニーに

在籍してた

横井康和さんだそうです

日本におけるネイティブ

アメリカンアクセサリ・

レザークラフトの

ショップ及びブランドの

レジェンド

goro’s(ゴローズ)の

オーナーであった

ゴローさんこと、高橋吾郎さん

原宿の伝説、

インディアンジュエリーの

巨匠であるゴローさんは

超有名人でしたね~

小生も何度かゴローズにも

来店した事もあるし

シルバーアクセサリー等も

購入しましたね

そんなゴローさんも

2013年にお亡くなりになった

って聞きましたね~・・・



当時原宿の玄関口と言われた

神宮前交差点の

セントラルパークにあった

カフェ「レオン」

多くのアーティストの卵や

モデルやデザイナー等

ファッション人間の溜まり場

になっていた・・・

そのレオンの前で写真に

納まってるのは若き日の

研ナオコさん

レオンの店内と前出の

スタイリスト高橋靖子さん

クールスやキャロル関連の

本を読むと必ず名前が

出てくるカフェ「レオン」

1975・4・13のキャロルの

解散コンサートの時の

映像の撮影時に白い

オープンカー”ビューイック”

に乗るキャロルのメンバーを

バイクで護衛するクールスが

出発前に集まっていたのも

レオンだった

この店からあの伝説の

1975・4・13が

始まったんですよね

1970年代の東京原宿を

象徴する建物の一つである

神宮前交差点にあった

セントラルアパート

その中にあったカフェ

「レオン」周辺にはいつも

映画のようなワンシーンが

あったようです。。。

当時の原宿を舞台にした

各著名人の著書には

必ずと言っていいほど

レオンが出てくる

それくらいレオンは

当時の原宿界隈の若者に

支持されていたお店

だったんでしょうね

バイクチームCOOLS

結成前だと思いますが

クールスのリーダーだった

舘ひろしさん

舘さんのクールス時代の

バイクと言えば

カフェレーサー仕様の

黒いカワサキZⅡや

バンド結成後のハーレーと

いうイメージがありますが

カワサキW1に跨っています

クールス結成前後を描いた

遠藤夏樹さんの著書

原宿ブルースカイヘブンには

舘さんがW1に乗ってたと

書かれてましたが

W1に乗ってる舘さんの写真は

初めて見ましたな~

遠藤さんの著書には舘さんは

当時の愛車だったW1の

右チェンジ、左ブレーキを

左チェンジ、右ブレーキに

やり替えたと書いてあった

記憶があるので

おそらく舘さんのW1は

W1Sだったんじゃないかと

思いますね

このカスタムを見ると

ハーレーのチョッパーに

憧れていたんだと

想像できますね~

ちなみにこの写真も

1974年のレオンの前だ

そうですよ

この写真も1974年の

レオンの前のワンショット

写真の女性はモデルの

鹿間ケイさんだそうですが

写真後方に写っているのは

クールスのジェームス藤木さん

いや~

カッコいい写真ですな~!

初期のクールスを象徴する

黒いカワサキZⅡ

岩城滉一さんのZⅡか?

それとも玉川雅巳さんのか?

たぶん↑の3枚の写真は

同じ時に撮られた物だと

思いますが

モデルの鹿間さんが

抱きついている人は

誰なんだろう?

クールスのメンバーで

ある事は間違いないと

思うんですが

ムラさんにも見えるし、

秀光さんにも見える

てか、他のメンバーの

可能性もありますがね~

1975・4・13、

今まさにキャロルのメンバーを

ビューイックの乗せて

日比谷の野音に向けて

出発する前直前

レオン前でのクールスの面々?

もしくは1975年に発行された

「mc sister」の時の物か?

この写真も70’HARAJUKU に

掲載されている写真では

ありません

この写真はクールスのアルバム

「ハローグッバイ」の

歌詞カードにも掲載されていた

写真だと記憶しています

ここもクールスメンバーの

各著書に必ず名前が出てくる

原宿表参道の

キディランドの横にあった

日本初のオープンカフェ

と言われる「Cafe de ROPE」

その

タムロするクールスの面々

この写真を見る限り舘さんが

いないしピッピさんが髭を

たくわえているから

想像では1978~1979年頃の

物だと思いますね~

この写真は1976年公開の

東映映画「暴力教室」の

ロケ現場だろうか?

と、言うように1970年代の

原宿にCOOLSは欠かせない

存在だった

言い方を変えればクールスは

日本初のストリートから

生まれたミュージシャンだった

いかがでしたでしょうか?

このようにその当時を語ると

必ずと言っていいほど

その存在をクローズアップ

されてきたレオン。

当時の魂・文化が・・・

レオンにはあったんですね。

当時のレオンにはその時の

最先端のブーム。

中でも、ファッション

トレンドなどなど

時代をけん引する頭脳が

集まっていた。

原宿の象徴だったレオンや

カフェドロぺ。。。

若者がその聖地にあこがれ

その若者の中から・・・

クールスが時代に求められ

生まれた。。。

舘ひろしが岩城滉一と出会い

ジェームス藤木が

大久保喜市とであった

そこにはレオンがあった。

 

引用元:https://youtu.be/3u-bIX8g-KE



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管理人: hepvane

hepvane

波乱万丈な人生を駆け抜ける。(途中) 会社倒産回数5回というのに自己破産なし。 借金3億8千万というのに生きている。 反社会的勢力(ヤクザ・右翼)に屈しない。 自己所有家屋5軒そのうち2軒は新築。 資金調達10億円超。(自他とも)(裏技テクニック) 企業再生多数。(建設・不動産・サービス業等) 夜逃げ介助多数。(国内・海外) 被告裁判28回(民事)。 会社経営5社(後に5社倒産) 著名政治家多数ルートあり。(政治権力利用) 人生再生コンサル展開中 1年前よりネットビジネスに参入。 ある女性との出会で激変 激変

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