【クールス】COOLS・フランクが語る※いつもレオンには舘ひろし・岩城滉一がたむろしていたとは!?

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【クールス】COOLS・フランクが語る※いつもレオンには舘ひろし・岩城滉一がたむろしていたとは!?

こんにちは・・・

今回は当時の原宿で

クールスのメンバーが

たむろしていた喫茶レオンや

スプレンドールでの様子

そして、サイドギターの

飯田和夫さん。

通称、フランクさんの

メンズクラブのインタビューを

お届けしたいと思います。

それではどうぞ・・・

1974年、12月某日深夜、

オートバイ好きな

若者達が集まり原宿にて

モーターサイクリスト

グループ、クールス結成。

メンバーは21人、

リーダーは館ひろし、

サブリーダーは岩城滉一。

暴走族とは違い

特攻服ではなく全員、

リーゼントに黒い革ジャン、

サングラス、スリムなデニム、

とアメリカンスタイルで

原宿のヘルスエンジェルスと

呼ばれて居た。

クールスと言えば

ハーレーのイメージがあるが

国産のオートバイに乗って居る

メンバーが多く、

館ひろしはZ1に乗って居た。

矢沢永吉率いる、

ロックンロールバンド、

キャロルのライブを見た

岩城滉一は感激して、

矢沢永吉と親睦を深め、

それがきっかけで

キャロルの親衛隊を勤めた。

次第にクールスはマスコミに

注目される様になり、

そのスタイル、

ルックスのよさで

女の子達の人気になる。

事実、クールスを目的で

キャロルのライブを見に

来て居る人も居た位である。

1975年 4月、キャロル解散。

ラストライブの映像に

館ひろし、岩城滉一が

出演しており冒頭で岩城滉一が

キャロルとの思い出を

語って居る。


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キャロル解散後、

キングレコードからバンドで

デビューしないかと

誘いがあり、

リーダーの館ひろしは

俺達、ミュージシャンじゃ

ないからと断るも、

キングレコードの熱意と

メンバーを食わせる為に

バンドでデビューを果たす。

バンドメンバーを決める時、

個性的で音楽経験が

ある者を選び、

メンバー内から8人が決定。

ボーカル(館ひろし)通称ボス

ボーカル(水口晴幸)
通称ピッピ

ボーカル(村山一海)通称ムラ

リードギター(ジェームス藤)
通称ジェームス

サイドギター(梅村和男)
通称社長、
※デビュー後間もなく脱退

サイドギター(飯田和男)
通称フランク

ベース(大久保喜市)通称喜市

ドラムス(佐藤秀光)
通称ひで坊

シングル、紫のハイウェイで

デビュー。

映画での主演も果たせており

バンドメンバー、

オートバイのメンバーと

共演を果たして居る。

■1977年、館ひろし、
クールスを脱退。

館ひろしはクールスを

脱退する時、俺は辞めるけど

お前達は続けるなり

辞めるなり好きにすれば

良いと語っており、

残ったメンバーで

クールスロカビリークラブと

改名してトリオレコードから

デビューする。

クールスの名前は当時、

キングレコードが著作権を

持って居た為、

グループ名を改名しなければ

ならなくなった。

デッドヒート日比谷で

行われたライブは

伝説になっており、

この時がバンドとして

1番最高潮であった。

■ピッピが脱退。

本当は館ひろしが

抜けた時点でバンドを

辞めたかったが、

メンバーの説得により残る。

脱退の本当の理由は

トリオレコードから

ポリスターに移籍する事が

原因とされて居る。


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ここでフランクの貴重な

インタビューをどうぞ・・・

〇原宿クールスの時代って?

あの頃飛ばすのが好きで
H-2に乗っていた。

ドカのナナハンに乗っている
ヤツもいた。

ゼッツーが多かったかな。

滉ちゃんは・・・

フルメッキのW1
チョッパーだった。

表参道に単車を停めて、
マシンガンマフラーを
磨いている

滉ちゃんが、
振り向いて「オッ」と
手を上げた笑顔、

忘れられない。
女にモテるはずだよね。

ヒロシも面白かった。

ある日グラスからラッカーを
カラカラ鳴らしながら

駆け降りて来たかと思うと、
一瞬に真っ黒に
オールペンしたよ。

タンクも外さずオイルも
抜かずほんの10秒ほどでね。

「単車はやっぱ黒い方が
いかすよ」だって。

仲間にはファッションに
うるさいヤツもいたな。

ジェームスと初めて
会った時は驚いた。

キングコングの階段を
ドカドカと降りて来る音がして

ふと見るとダブルの
ストライプスーツ、

革のトレンチに
ポルサリーのあいつが
立っていた。

ヤツのキャラバンに乗って
古着を一緒に捜し回ったものさ。

GORO’Sの
ユニオンジャクの
ロンドンブーツを作ったりね。

最初は2万円のレイバンも
買えなかったんだけどー。

ヤツらといつも
レオンに溜まってた。

走ってここに帰ってくると
何だか落ち着いて・・・

原宿が自分達の居場所の様に
思えていたんだ。

でもバンドを辞めてからは
徐々に行かなくなっちゃたね。

卒業って感じかな、
昔の知り合いも殆ど
居なくなったし。

たまにふらっと足が向いて
出掛けても

昔とは随分変わって
良く分からないんだ。

驚く様なカッコした
若い子もおおいしね。

でも当時のオレ達だって
この街にとっては

異端児だったんだろうな、
きっと。

でもやっぱり COOLSが一番
イカシてた思うよ、
あの頃――。

当時クールスロカビリー

クラブのマネージメントを

やって居た、現在、

クレイジーケンバンドを

やって居る横山剣、

友達の萩原が

メンバーに加入する。

後に名曲となる

シンデレラリバティーは

作詞、作曲を横山剣が

行っており、横山剣が

メンバーに加入した事により

音楽のクオリティーが

上がるも、

所属レコード会社から

昔のクールスに戻せと

言われ、横山剣は自分は

オリジナルメンバーでも

無いし自分の音楽を

否定されたので自分の

居場所が無くなったとの

理由で横山剣、

萩原の2名、クールスから

脱退。

暫く活動休止になるが

1990年、

元メンバーでベースを

弾いて居た喜市の呼び掛けで

オリジナルメンバーの一海、

ジェームス、フランク、

秀光、喜市で

オリジナルクールス90で

活動開始、

舘ひろし、ピッピにも声を

掛けたが両者共

断ったらしい。

暫くして

■喜市、フランクが脱退。

元、ラッツ&スターの

メンバーだった山崎、

クールスのファンだった

後藤がクールスに加入、

ザ・クールスと改名して

活動開始。

1995年、日比谷野音でライブ。

日比谷野音でのライブ後、

山崎、後藤の両者が

クールスから脱退。

メンバーの入れ代わりが

激しい中、ボーカルの

村山一海だけクールスを

一度も脱退せずに今に至る。

横山いわく、芸能界一、

リーゼントが似合うらしい。

現在のクールスは

オリジナルメンバーの

村山一海、ジェームス藤木、

佐藤秀光、フランクで

ライブ等を積極的に

行って居る。

いかがでしたでしょうか?

フランクさんのメンズクラブの

インタビュー。

岩城滉一さんと舘ひろしさんの

当時の様子が手に取るように

わかりましたね。

インタビューでは語らなかった

部分なんですが・・・

舘ひろしさんらがいると

こぞって可愛い女の子が

着ていたらしいですよ。

ファンクラブの子でしょうね。

バッドエンジェルスをつくった

遠藤夏輝さんもその書籍

原宿バッドエンジェルスの中で

クールスの並外れたカッコよさ

に、当時の女の子らが

虜になっていた。と・・・

また、遠藤さんして

ルート20の総長を

辞めさせてしまった・・・

クールスの大人の魅力。

その後、バッドエンジェルスを

つくりました。

クールスが黒を基調にした

のに対し・・・

バッドエンジェルスは

赤を基調にしていました。

遠藤さんはその当時を

振り返り・・・

舘さんの前に出ると・・・

直立不動になってしまった。

それだけ・・・

凄みとカリスマ性があった。

現在でも遠藤さんは舘さんには

緊張するそうですよ。


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引用元:https://youtu.be/xrn5-bUkPL4

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